No Pain No Gain

40代ゲイの世界ひとり旅

ホモな思春期

makotino2007-05-24

ゲイである事がわかったのはいつ頃?とよく聞かれるけど、これはかなり小さい時からわかっていて、ただそれを「理解」して「受け入れる」っていう事が一番大変だったように思う。小学生から中学生に上がったぐらいから、確実に男の方にばかり興味を持っている自分に気づき、それでもsexとかはそこまでリアルなアイデアではなくて、中2-3で「ホモ」とかいう事が何となくコンセプトとして頭に存在して来たと思う。それでも、自分は背も低かったし、成長も遅かったので、なんとなく他の男の子のように早くたくましくなりたいとか、そういうあこがれがあったのだと思って、自分も成長して、そのように変化していったら、自然に女の子に目がむくんだろうなとか思ってたけど。ま、そういう事はもちろん全くなくて、高校に入るぐらいには「薔薇族」や「さぶ」の存在も知っていたように思う。で、高校に入って同じ部活の人を好きになる。これが初恋というんだろうか、それとももっと以前に自分には理解できない形で(ホモという概念が自分に理解できてなかった当時は)初恋というものが誰かに対してあったのだろうか?(そんな気もする)とりあえずこの高校生で初めて全身で男が好きという事を実感し、それと同時に「なんで、ホモなんだ!」っていう事と格闘しながらそれを受け入れる長〜い心のプロセスがあったように思う。それと同じ時期に「学校にいく」という事があんまり意味を感じなくて、かなりさぼり始めた。なぜか学校に行く事、クラスの友達とあったりする事がつらくなってきて、その代わりに家にいて漫画読んだり、掃除したり、して一人でのんびりしている事がとても気持ちよかった。学校にいってもいかなくても教科書を読めば勉強ができたし。今思うと、自分で意識できないところで、いろいろ感じていて、それは自分のセクシャリティや、学校での友人との距離、思春期、好きな人の事など、いろいろな物がわけもわからないまま、そこにあって、自分なりにわからないまま対処していて、それが学校にいかないという行為になったんだと思う。その時はとても必要な行為で、そうする事で、なんか外に向かって流れていく自分のエナジーを自分に向ける事ができて、回復する事ができたんだと思う。もちろんそんな事理解してなかったけど。当時は毎日家に帰って来てため息をついてたような記憶がある。それは、彼の事を考えてだし、自分のセクシャリティを呪ってだし、なぜ自分が!っていう事や、それ以上にただわけもなく不安、とかいろいろな物があったように思う。その状態からどのようにして抜けたのかは定かではないが、ただ結局時間少しずつ自分を慣らしたんだと思う。あまりにも学校にいってなかったんで留年寸前だったけど、なんとかそれは免れた。(でも毎日放課後になってクラブには現れてた。結局「友達」という繋がりは大事だったかも。クラスにはそういう友達がいなくて、クラブのメンツは自分の中で「友達」として「関係」をつなぎとめていたかったんだと思う。自分が思い描いていた「友達」かどうかは別として。あの時に学校にいかずに家に閉じこもっていた状態は、両親は不安だったと思うけど、それでもあれができたのはとても大きかった。自分を守る上で。そうこうして時間は過ぎていき、彼の事もだいぶあきらめがつくようになり高校3年ぐらいになるともうさすがに、ホモという事実にうちひしがれるということからもだいぶ脱却できたと思う。確か19才の時に初めて当時最も仲が良かった女友達にカミングアウトした。それから瞬く間にいろんな友人にも告げて、20才になると両親にも告げる。でも、両親とはそのとき以来ゲイってことは全く話さないけど。なんだかとてもなつかしくおもう。