No Pain No Gain

40代無職独身ゲイ。それでも社会とゆるくつながっておかないと。

久しぶりの友達と

超久しぶりで15年ぶりくらいの友達に会う。こういうのが帰省することやね。

 

彼女の3人子供はもう一番上も高校1年生。めちゃ可愛くなってる。でも思春期で大変らしい。色々聞いて思ったのは、やっぱり友人の家族環境にあるように思えた。

 

友人は5人姉妹の真ん中で、お父さんは会社を経営してるし、どうしても男の子が欲しいと次を頑張ったら、四女と五女の双子が生まれてきて、もう諦めたらしい。もうこの家族構成だけで、NHKの朝ドラが一本簡単にかけてしまう。高校のときから知ってるけど、とても愛に溢れたパワフルな家族だった。

だからだと思うけど、光が強すぎるんだと思った。愛情に満ちてるから、どっちに転んでも長い目で見れば大丈夫というのはとても見えてくる。でも今の今の日常の生活は娘さんも大変そうだ。お弁当にひじきを入れるなとか、人が見てる前で弁当が食べられないとか、数週間ほどおじいちゃんの家に退散してたけど、トイレにいけないとか、なんか聞いててヒリヒリする。

友人と話して感じるのは溢れるパワー。なんかパワーが溢れていて、その対象を探してる。彼女もすっかり元気もりもりのお母さんになってて、さらにその背後にその強力な家族がいると、もう光が強すぎて、その影を娘さんは一身に浴びることになったんだと思う。友人のせいでもないし、家族のせいでもない、ましてや娘さんのせいでもない。でも、もうその構造自体に強力な力が働いてて、その犠牲になってるんだと思う。

息ができないというSOSを出してる。。

 

高校時代の思春期に入った自分を思い出した。あの頃は自分でも何か理解できないまま、不安を抱えてた。で、だんだんと学校に行かなくなった。何をしていたかといえば、家にこもって漫画読んだり、図書館行って本読んだり、一人になることがとても重要だった。人に会うことにとても疲れて、一人でいることでエネルギーを貯めないといけなかった。今思うとそれは、ゲイというものを頭だけでなく、体全体で理解すること、世界と自分の関係、友人と自分の関係など、色々な事をそのまま一緒くたに浴びて、ただ生き延びようとしていた。それには時間と余裕、余白がいる。ラッキーだったのは、学校に行かなくてもある程度ほっておいてくれた先生や、両親がいた事だった。もちろん全てを知っていたので、心配はしていたろうけど、ある程度距離を取ってくれてた。今思っても、その余白が大事だったんだと思う。学校だけではない世界、クラブ活動での世界、アルバイトでの世界、自分だけの世界、そういう隙間があったからこそ、息ができたんだと思う。あの頃は家に帰ってきてため息をついていた。疲れていた。世界と自分の関係に。好きになった人が男だった事。なぜ、自分なのか。セクシャリティもあったけど、でも思春期のもっと大きな世界との関係性みたいなものがあったように思う。それは外にエネルギーを使うことをやめて、自分に向けることで、時間とともに、少しづつ慣れてきたと思う。

 

そして、友達との再開の後、夜家に帰ってきたら、兄夫婦と子供三人、お父さんお母さんと一緒にお鍋。またこの子供たちがすごい。兄の獅子座的なドラマチックさをそっくり受け継いで、コントを繰り広げる繰り広げる。子供ってすごいと思った。全てが無意識で、それに自分の本来持つ性格と、さらに親の影響が色濃く出てて、その子供たちを作り上げてる。子供を見てるとどこまで自分が言ってるのか、それとも無意識に親に言わされてるのか、わからなくなる。それくらい、子供は親の鏡だなとつくづく思う。

 

子供について色々考えさせられる日だった。